お風呂掃除をしながら考えたこと

こんにちは。てんとう虫です。

今日はお風呂掃除をしました。我が家ではお風呂掃除の担当は僕です。

仕事がある日はできませんが、現在は無職なので、毎日僕が掃除をします。

お風呂場イメージ画像

思い返せば幼少の頃も実家のお風呂掃除担当は僕でした。

お風呂掃除1回につき100円のお小遣いというルールがあったので。報酬が目当てでした。

仕事をして報酬を得るという社会のシステムを幼少の頃より体感していました。

当時の僕は、いかに早く掃除を終わらせて報酬を得るかに心血を注ぎました。

そうするともちろん仕事の精度が落ちます。最初から早さを追求しているので粗が目立つのです。よく見るときちんと磨かれていない箇所があったり水の吹き出し口のキャップを取らずに表面だけサッとスポンジで磨くだけなので十分に汚れが落ちないのです。

1日や2日程度だとばれませんが、3日4日続くと家族に不審に思われます。そもそもきちんと洗っていないので汚いですから。たしかお風呂を一度壊したことがあります。洗い方が乱暴だったりで保温センサーがうまく作動しなくなったことがあったと記憶しています。

今思うとひどいなと思います。

西村佳哲さんの「自分の仕事をつくる」の中にこういう一文があります。

丁寧に時間と心がかけられた仕事がある。素材の旨味を引き出そうと、手間を惜しまずつくられる料理。表には見えない細部にまで手の入った工芸品。一流のスポーツ選手による素晴らしいプレイに、「こんなもんで」という力の出し惜しみはない。

このような仕事に触れる時、私たちは嬉しそうな表情をする。なぜ嬉しいのだろう。

おそらく幼少の頃の僕の意識には「こんなもんで」というものがあったと思います。

三つ子の魂百までというように大人になっても「こんなもんで」という意識でやった仕事も一つや二つではありません。

「自分の仕事をつくる」では上記の文章の後こう続きます。

人間は「あなたは大切な存在で、生きている価値がある」というメッセージを、つねに探し求めている生き物だと思う。そして、それが足りなくなると、どんどん元気がなくなり、時には精神のバランスを崩してしまう。「こんなもんでいい」と思いながらつくられたものは、それを手にする人の存在を否定する。

僕の仕事ぶりはお風呂に入るであろう家族の存在を否定する行為でした。

今日そんなことを思いながら湯船を磨いていたら、なんだかいつもよりやる気が出てしまいいつもより丁寧に時間をかけて掃除をしました。

終わったら汗だくでした。

しかし、妻にはその後きれいだね!といってもらえたので満足です。

仕事ってそういうことなんだよな。きっと。

それではまた。

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